松戸市の旅行記【歴史・文化・芸術】
![]() ![]() ![]() 松戸
![]() 城megrist KAZ
![]() 2016/02/28~" . 2016/02/28
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松戸にパスポートを受け取りに行ったついで、松戸駅近くにある最後の水戸藩主徳川昭武邸「戸定邸」を訪れた。
当時の上流階級の邸宅と庭園がそのままに残り、当時の生活を垣間見理事が出来た。また、彼の芸術的才能も見事で、彼の書、陶芸などの展示のある松戸市戸定歴史館は見ごたえがあった。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() 茶柱たつこ
![]() 2017/06/29~" . 2017/06/29
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どこか紫陽花の名所はないかと検索して見つけたのが松戸にある本土寺。
グーグルマップをみると、一度乗ってみたいと思っていた流鉄線も近い。
という訳で松戸・流山散策に出かけたのでした。
本土寺
http://www.hondoji.net/
旅のメモはこちらから
松戸と流山を散策する
https://blogs.yahoo.co.jp/gomaponzu_sudachi/39877032.html
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() マキタン2
![]() 2017/02/03~" . 2017/02/03
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戸定邸(とじょうてい)は、水戸藩最後(11代)の藩主だった徳川昭武が、千葉県東葛飾郡松戸駅(現:松戸市松戸)に造った別邸。
国の重要文化財。重要文化財指定名称は、旧徳川家住宅松戸戸定邸。また庭園は「旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)」として国の名勝に指定されている。現在は「戸定が丘歴史公園」として整備されている。
松戸宿は江戸時代には江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町であり、同邸そばの松戸神社には水戸藩2代藩主徳川光圀ゆかりの銀杏の樹があるなど、古くから水戸藩とつながりの深い土地であった。
1884年(明治17年)に完成し、昭武の生活の場として使われた。明治30年代に実兄である元将軍徳川慶喜が何度か訪れ、昭武とともに趣味の写真撮影などを楽しんだ。多くの皇族が長期に滞在するなど、由緒のある屋敷として知られた。1892年(明治25年)、昭武の子の武定が特旨によって子爵を授けられると、以後は松戸徳川家の本邸となった。
1951年(昭和26年)、武定により建物と敷地が松戸市に寄贈された。
江戸時代の下屋敷の構築を留めている。庭園は2015年3月10日の国の名勝に指定された。
建物は2006年(平成18年)7月5日に国の重要文化財に指定された。
重要文化財 表座敷棟
中座敷棟 奥座敷棟 離座敷棟 玄関棟 台所棟 湯殿 内蔵
戸定が丘歴史公園
現在、戸定が丘歴史公園として整備されている。同公園は戸定邸と庭園、博物館である戸定歴史館から構成されている。
歴史館では松戸徳川家や徳川慶喜家の資料が展示され、幕末に昭武が訪れたパリ万国博覧会の関係資料など幕末から明治にかけての国際交流と徳川慶喜・昭武兄弟が撮影した写真をメインテーマに、展覧会などが行われている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
戸定邸 については・・
http://www.dream-flower.com/
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() yuh
![]() 2017/02/25~" . 2017/02/25
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唯一一般公開されている徳川家の住まい戸定邸を訪れました。この建物を建設したのは、徳川昭武。最後の将軍徳川慶喜の弟で、最後の水戸藩主となった人物です。
戸定邸には23もの部屋があり、最上級の杉の木が使われていますが、装飾はあまりなく簡素な印象です。窓や欄間などからはこだわりや人柄が伝わってくるように感じられました。
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![]() ![]() ![]() 松戸
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![]() 2016/08/19~" . 2016/08/19
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真夏に、新京成線の「上本郷」駅から、JR「北松戸」まで、七不思議を歩いて見学する。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() kenjhosan
![]() 2015/12/04~" . 2015/12/04
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紅葉の時期なので、紅葉の名所を関東で調べ行きました。千葉の城跡としてよく聞くのでついでに800メ-トル離れた城址公園にいき、歩いて2時間かかりました。近くに関さんの森という、月に1回開放している素晴らしい森を外から見ました。子供たちと住民で維持しているとのことです。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() morino296
![]() 2015/06/10~" . 2015/06/10
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千葉方面にお住いのカメラ仲間の先輩3人からお誘いを頂き、松戸にある徳川家・戸定邸とあじさい寺・本土寺へ行ってきました。
我が家からは遠い松戸、なかなか行く機会はありませんが、サンデー毎日の先輩3人が私の休みに合わせて日程調整をしていただき、久々に4人で集まることが出来ました。
当初は、本土寺の紫陽花を楽しんだ後に飲むと言う企画だったのですが、私が参加させていただくことになり、折角なので松戸徳川家の戸定邸を案内していただくことになりました。
(コメントはパンフレットとHPを参照しています。)
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() hn11
![]() 2014/10/02~" . 2014/10/02
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江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の弟で徳川昭武の別邸の見学です。
広い公園の中に建ち、座敷から美しいお庭の鑑賞が出来るとあれば、行くしかない。
写真は、座敷から眺めた日本庭園。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() マキタン2
![]() 2013/03/23~" . 2013/03/23
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戸定邸(とじょうてい)は、水戸藩最後(11代)の藩主徳川昭武が、千葉県東葛飾郡松戸駅(現:松戸市松戸)に造った別邸。
国の重要文化財。「戸定館」とも呼ばれる。重要文化財指定名称は、旧徳川家住宅松戸戸定邸。現在は「戸定が丘歴史公園」として整備されている。
松戸宿は江戸時代には江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町であり、同邸そばの松戸神社には水戸藩二代藩主徳川光圀ゆかりの銀杏の樹があるなど、古くから水戸藩とつながりの深い土地であった。
1884年(明治17年)に完成し、昭武の生活の場として使われた。明治30年代に実兄である元将軍徳川慶喜が何度か訪れ、昭武とともに趣味の写真撮影などを楽しんだ。多くの皇族が長期に滞在するなど、由緒のある屋敷として知られた。1892年(明治25年)、昭武の嫡男武定が特旨によって子爵を授けられると、以後は松戸徳川家の本邸となった。
1951年(昭和26年)、武定により建物と敷地が松戸市に寄贈された。
江戸時代の下屋敷の構築を留めており、庭園とともに千葉県指定名勝となっている。
建物は2006年(平成18年)7月5日に国の重要文化財に指定された。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
戸定邸については・・
http://www.dream-flower.com/
http://www.city.matsudo.chiba.jp/index/profile/shisetsu-guide/rekishi/tojo.html
http://www.matsudo-kankou.jp/wp/?p=165
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() 歴娘姉妹の父
![]() 2012/08/12~" . 2012/08/15
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8.12日~15日まで娘達と城址巡りをしてきました。
前日の夜、部活が休みに入った上の娘から、行くなら四国攻め!
宇和島城や今治城を見たいと御詞を賜った!
君たち小さい頃に、宇和島城や松山城には行ってるんだよ~ビデオにはちゃんと残っているけど、記憶にないんだね~
老体気味の我が身にはお盆の最中の渋滞地獄だけはさけたいのと日数的に ちときついのではとお伺いを立てると、なら大阪城~伊賀上野、津~東海道を北上しながら、帰ってくるのはと言う・それならと・・
(今回の裏テーマは、※藤堂高虎らしい)
支度しといてね、少し寝るからと言って・・・起きると・朝6.00・娘達も爆睡中!三人とも寝過ぎだよ~案の定、渋滞情報を確認すると高速はどこも大渋滞。
10時頃家を出る。予定を変更して方向は逆に北に、下道で行田市の忍城址に向かうことにしました 。
(※藤堂高虎 1556~1630 築城の名手とうたわれた武将、今治城、篠山城、宇和島城、江戸城の設計など、日光東照宮の建設にも携わった)
今週末(10.2)公開される映画”のぼうの城”の舞台、”忍城址”行田といえば”ゼリーフライ”でしょ?
http://4travel.jp/traveler/cosmoster/album/10721591/
カミった!カミったと下娘が言う。何が?”夜の松本城址”
おまけ・・2年前の5月の連休時の大混雑の”松本城址”
http://4travel.jp/traveler/cosmoster/album/10722383/
12日・千葉~忍城址~姨捨SA~松本城~安房トンネル~平湯(真っ暗なひらゆの森で足湯)~高山~九頭竜~福井IC~南条SAで車中泊
夜、松本IC近くの”豚さん食堂”で食事をしながら、平湯から福井に抜けるよと話すと、上の娘が”城のしおり”を見ながら竹田城址を見てみたいと言い始めた。兵庫ね・・
下の娘が鳥取に行ったことがないので、出来れば鳥取、島根の松江あたりまで足を伸ばして、”投入堂”松江城址”まで行って見るのも一考かと思い始める~
初姫と、京極高次の”小浜城址”小浜神社内に石垣だけが残る城跡、(祭られているのは酒井忠勝だけど)
http://4travel.jp/traveler/cosmoster/album/10722387/
”舞鶴赤れんが博物館・赤レンガ倉庫群”
カメラを落としてレンズが破損
4.5年毎に訪れている丹後地方、しかし舞鶴はいつも素通りしてました。
今回は娘達も”自衛隊の艦船”や”赤レンガ倉庫群”に興味を示したので寄ってみることにしました。
赤レンガ倉庫群の中でカメラを落としてしまいました。(LUMIXミラーレス一眼)レンズ部分のズーム部分が半分はみ出したよ~(泣 無理矢理戻したけど、ズームは効かないし、セットすると真っ暗になる、
舞鶴市内のカメラ専門店に寄ってみたけど、預かるしかないというので諦めることに。
カメラを少し戻すと、何とか撮れそうだと、娘がいうので、帰るまで我慢することにした。
光秀が築いたといわれる”福知山城址”
天空の城、”竹田城址”
急な豪雨で今度はカメラ本体の液晶に水が(泣
13日・小浜城址~道の駅シーサイド高浜~舞鶴赤れんが博物館・赤煉瓦倉庫群~福知山城址~竹田城址~湯村温泉~岩井温泉(日帰り入浴)~鳥取市内BH宿泊。
下の娘は鳥取県初上陸?(残り5つ)鳥取に着いた時は大雨、ファミレスで食事した後、ビジネスホテルに、竹田城でずぶ濡れになったので、ホテルで洗濯する羽目になった。
10数年ぶりの”鳥取砂丘”
言っとくけど・・梨、梨、”20世紀梨”の原産地は私の住む町だよ~
”道の駅あまるべ”(7月に出来たばかり)。
余部鉄橋?”コンクリート製に変わった橋
”兵庫県立コウノトリの郷公園”
たくさんのコウノトリが大空を舞う日がいつか・・・~
天守が作られなかった”篠山城址”
城址周辺はデカンショ祭りの準備中。ここからは裏テーマらしい~
秀吉が石山本願寺跡に築いた”大阪城址”
やはりでかい~熱帯夜の大阪城散歩
14日・鳥取砂丘~餘部鉄橋~豊岡コウノトリの郷公園~竹田駅~篠山城址~大阪城址~和歌山泊
上の娘も和歌山は初(二人とも残り4県)和歌山も鳥取も一ヶ所に行っただけ、これを制覇というのか?
徳川御三家の1つ”和歌山城址”
藤堂高虎が初期に関わった城
”岸和田城址”
福知山城主でもあった岡部氏の居城
”伊賀上野城址”
忍者の里、筒井氏の築いた城を今治城から移った高虎が大改修した城。
”津城址”
織田信長の弟信包が築城、高虎が現在の形を作る
15日・和歌山城址~岸和田城址~伊賀上野城址~津城址~四日市IC~16日早朝帰宅。
12日からの実走行距離1.800Kmでした。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() 歴娘姉妹の父
![]() 2012/10/21~" . 2012/10/21
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10日ほど前にDVDでALWAYS64を見てふと思い出して
日曜日のお昼に下の娘とMacに寄ったついでに?行ってきました。
家から3Km弱、10分で到着。
”昭和の杜博物館”ここは建設会社を経営している吉岡氏(会長さんです)が、個人で収集した物を、週末だけ公開している個人博物館です。
収集物は雑多、ごちゃ混ぜですが、映画ALWAYSシリーズで使用されている。昭和30年代の車や日本最大の模型?空母ホーネットが目玉でしょうか。
DATA
”昭和の杜博物館”
千葉県松戸市紙敷1377
TEL 047-369-7870
開館日 金、土、日曜日、祝日
入館料 大人300円(展示館のみ) 高校生以下は無料です。
時間 AM10.00~PM4.00
JR武蔵野線、北総線”東松戸駅”西口から徒歩15分
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() pedaru
![]() 2012/04/29~" . 2012/04/29
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戸定歴史館は将軍徳川慶喜公の弟である水戸藩主徳川昭武公が明治十六年松戸別邸として建てられた近世武家屋敷造りの建物です。
多くの皇族方も長期にわたって滞在された由緒ある屋敷です。
昭武公の子息武定公は昭和二十六年当邸を松戸市に寄贈されました。
敷地2000余坪、建物238坪あるそうです。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() Tamegai
![]() 2011/05/26~" . 2011/05/26
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徳川幕府最後の将軍慶喜の弟徳川昭武が住んでいた千葉県松戸市にある松戸別邸の戸定(とじょう)邸を訪ねてみました。
松戸にこのようなお屋敷があるとは全く知りませんでした。たまたま友人が松戸で個展を開くというので、松戸に行くことになりました。ついでにどこか訪ねるところがないかと調べたところ、戸定邸という徳川末期からここに住んでいた徳川昭武の屋敷があることを知りました。
訪ねてみて、びっくりです。広大な屋敷そのものも興味を覚えましたが、それよりも徳川昭武が大の写真好きで、自らの写真だけでなく家族、屋敷、日本各地を撮った写真が残されています。博物館があったので、彼が撮った写真を多数見ることが出来ました。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() 滝山氏照
![]() 2011/11/22~" . 2011/11/22
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JR常磐線北小金駅下車徒歩約15分、珍しい堀(畝堀・障子堀)を有する小金城跡を訪問しました。
築城者は小弓城主原氏の家老職高城胤吉(タカギタネヨシ)で築城開始から7年後の1537年(天文6年)に根木内城から転居し当城を本拠地としました。
高城氏はもともと原氏と共に千葉氏の家臣でありましたが鎌倉御家人だった頃のかつての勢力は既になく、千葉氏の凋落ぶりはいかんともしがたくこれを機に離反・独立を果たし、最盛期には現在の松戸を中心に市川・船橋・鎌ヶ谷・柏・我孫子等の葛飾郡東部周辺に所領を広げます。やがて小田原より北上進出する北条氏の支配下に入り、小金城は西下総における拠点の位置付けとなります。
1560年(永禄3年)越後上杉謙信が足利藤氏を奉じて関東進出、古河城に滞陣の際近隣の関宿城に在城していた古河公方・足利義氏は小金城に身を移しますが高城胤吉は所領安堵を引き換えに主を変えて謙信に服従します。
以降謙信が越後に帰りますと一転直ちに主を北条氏に戻す中、江戸湾の覇権を争うべく安房里見義弘等との第二次国府台合戦で北条氏康軍に協力して敵に大打撃を与えることとなります。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原城討伐では、当主の胤則とその息子は他の有力武将と共に小田原城籠城、胤則は小田原勢の劣勢を認識し今後の展開を有利に運ぶため密使を通じ小金城の開城を在番重臣に命じます。
結果小田原城開城、4代目北条氏政・次弟氏照は切腹、5代目氏直は高野山追放を以って滅亡しますが、他方高城胤則は蒲生氏預りとなり高城氏の支配は終り、一時的に徳川信吉の入封を経て水戸城に移りますと廃城となります。
地勢的には起伏のある丘陵地に東西800m、南北に600m、高低差15mの大城郭だったそうで説明地図が示すところでは北小金駅構内まで及ぶ程の大規模敷地でありましたが、宅地開発により市街化がかなり進み現在残っているのはわずかに外郭の金杉口・達磨口だけとなっているのは大変残念です。
歴史公園として発掘・保全をする中で歴史公園化されていましてポイント毎の説明版は丁寧でよく理解できます。更に特筆すべきは畝堀・障子堀と言った珍しく貴重な遺構が残っており、自分としてはひじょうに勉強になりました。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() 滝山氏照
![]() 2011/09/13~" . 2011/09/13
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JR・新京成線松戸駅から線路に沿って上野方面に徒歩で約15分の松戸城跡(戸定歴史公園・トジョウレキシコウエン)を訪問しました。
築城時期は不明ですが15世紀中頃千葉氏一族の原信濃入道が関東管領の上杉氏に反抗し当城に籠もったとの事からその頃の築城と思われます。
1538年の第一次国府台合戦では当地域が戦場と化します。つまり江戸川下流の国府台城から松戸城北東の相模台城に進軍した小弓公方軍が陣を構え対岸を渡る小田原北条氏綱・氏康軍を迎え撃ちますが重臣の進言を聞かず作戦を誤り、相模台城周辺の戦いで小弓義明は討ち死に小弓公方は滅亡に至ります。
以降北条氏の配下小金城(常磐線北小金駅徒歩15分)城主である高城氏の管理下に置かれますが1590年の北条氏滅亡に伴い廃城となります。
江戸時代には当地域は水戸藩徳川家所領となり、1885年(明治17年)水戸藩最後の藩主徳川昭武(アキタケ)の別邸が置かれます。
1951年(昭和26年)邸宅と敷地が昭武の子息武定氏から松戸市に寄贈、1991年(平成3年)11月に「戸定が丘歴史公園」として整備され一般公開されます。
元々の松戸城は現在の常磐線を越えて江戸川河岸近くまでの広範囲な城郭だったと思われますが、それでも寄贈された敷地は二千百余坪、建物二百三十八坪を有しています。
自分が訪問した日はまだまだ夏日の続く日でしたが、公園内部に入りますと樹木に囲まれた青々とした芝生や「あずまや」を配置した庭園がひじょうに印象的で久々に静寂に感じ入りました。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() 滝山氏照
![]() 2011/08/24~" . 2011/08/24
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JR常磐線又は新京成線松戸駅から徒歩7分の丘陵地にある相模台城跡を訪問しました。13世紀中頃、鎌倉幕府第6代執権北条長時が当地に居を構えた事に始まります。その後歴代の執権が度々利用しますが第15代最後の執権となった北条相模守高時が当地に居住したことにより彼の「相模守」が名前の由来になったそうです。
鎌倉幕府崩壊後は当然ながら相模台城も陥落、以降足利尊氏と新田義徳とで当地を巡る争奪戦が繰り返されます。
1538年、当地は第一次国府台合戦の戦場となります。即ち小田原から北上した北条氏綱・氏康親子の軍が江戸川を渡り松戸から攻め、対する足利義明を主とする小弓公方軍は相模台城で迎え撃ち、城の周辺では激しい死闘が展開され、義明と嫡子義純は討ち死についに小弓公方は滅亡します。
相模台周辺は駅に近く市街化が進みス-パ-、マンションの他松戸中央公園、相模台公園、裁判所、法務局、聖徳大学、相模台小学校などが建ち並び当時を示すものは少ない中、聖徳大学構内に「相模台戦跡碑」と書いた石碑と当合戦で落命した義明父子たち戦士を弔った「経世塚」を見学できた事は嬉しい限りです。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() HYRON
![]() 2011/04/10~" . 2011/04/10
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JR常磐線松戸駅から徒歩10分程のところに建つ戸定邸は、最後の水戸藩主、徳川昭武(第15代将軍徳川慶喜の弟)が松戸の別邸として、1884年に完成しました。
その後、何度かの増改築があったそうですが、ほぼ当時のまま保存された大名の下屋敷は質実剛健、自然に溶け込むような佇まいを今に残しています。
明治30年頃には、兄である徳川慶喜も何度か戸定邸を訪れ、共に趣味の釣り、狩猟、写真撮影等を楽しんだとのこと。
1951年、戸定邸は松戸市に寄贈され、現在では戸定が丘歴史公園として一般公開されています。
(2006年、国の重要文化財に指定)
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() ちょびれ
![]() 2010/12/04~" . 2010/12/04
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近場の紅葉を見たいと松戸の本土寺を狙っていたのだが・・・やっぱり時期を逃したわたし。どこか素敵な場所はないのかしらん?と思っていたら、松戸から歩いて10分ちょっとに、水戸藩最後の藩主、徳川昭武が作った戸定邸という
のがあるのを発見。水戸藩・・・茨城県民としては一度見ておかなくちゃ!でお出かけしてきました。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() フロッガー
![]() 2008/11/23~" . 2008/11/23
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去年も12月のライトアップに行ったのですが、今年は11月しかライトアップされないとのことで行ってきました。
この日はお会式(おえしき)も行われていて、閉門されずに終始無料参拝の日でした。お会式というのは、日蓮聖人の命日(10月13日)を中心に行われる法要のことです。
お会式で有名なのは池上本門寺の万灯行列ですが、ここ本土寺も日蓮聖人ゆかりの寺であることからお会式は11月20日に定められています(実際の法要日は毎年変更)。参道を団扇太鼓を打ちながら万灯を掲げて歩きます。
自分が参道についた時には午後4時ごろだったので、万灯行列の最後と一緒になっていました。そして行列を抜くことができずに並走(^_^;)。太鼓の音と掛け声のすごい熱気でした。
そして、すぐ日も暮れてライトアップへ。庭園方面はライトアップされていないので、弁天池と本堂、五重塔がライトアップの見所です。今年は、ライトの数も去年より増えたようで写真を撮るのは難しかったのですが、見る分には神々しく綺麗でした。
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![]() ![]() ![]() 松戸
![]() フロッガー
![]() 2009/11/29~" . 2009/11/29
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今年も本土寺のライトアップに行ってきました。
雨の予報だったので、無理かなと思いながらの松戸行き。
それが寒くもなく天気も持ちこたえてくれました。
本土寺の紅葉はちょうど今が最盛期のようです。山門からのモミジが赤くなれば終わりに。
毎年、弁天池周辺のモミジは色づきが早くて逆さモミジは連休中の最初のライトアップが見頃のような気がします。境内全体や山門は12月入ったころがピークでしょうか。
本土寺へ着いたのが午後4時過ぎでしたので、とりあえず境内へ入って15分ほどブラブラ。すぐ暗くなる・・・五重塔横の大イチョウも散ってしまっていました。
ライトアップの日は午後5時でいったん門は閉じられて、午後6時に再開門となります。この日は午後5時40分にライトアップ開門となりました。
自分といえば、間違えていつもとちがう一脚を持ってきてしまったのですが車をちょっと遠いところへ置いてしまったのであわわわ(爆)
ま、来年もこのライトアップにくる口実ができました(笑)
できれば近日中ににもう一度行きたいなと思ったり。
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松戸市 の 歴史・文化・芸術 の旅行記
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